無線通信の歴史
1785年にフランスの物理学者、シャルル・オーギュスタン・ド・クーロンが自身で考案したねじり秤を使って実験を行なった結果、クーロンの法則を発見。
1799年にイタリアの自然哲学者、アレッサンドロ・ボルタにによって電池が発明されました。
1820円にデンマークの科学・物理学者のハンス・クリスティアン・エルステッドが電池を使って実験中に、針金に電流を流したときだけ近くに置いてあった方位磁石が反応するの事を偶然発見。
1831年にイギリスの科学・物理学者、マイケル・ファラデーがコイルの中で磁石を動かしたときの磁気の流れによって電流が発生する電磁誘導現象を発見。
1873年、イギリスの論理物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルがクーロンやファーデルがおこなった実験を基に研究し、電気と磁気に関する方程式を作りだした。磁気理論を確立するとその方程式を解き、電磁波の存在を予測、電磁波の速度が光の速度と同じだと証明し、光は電磁波であることを証明した。
1887年にドイツのハインリヒ・ヘルツは別々の部屋に誘導コイルと受信コイルを設置し誘導コイルで火花放電を起こしたと同時に、受信リングの隙間に小さな火花が発生を確認、マクスウェルが理論的に予測した電磁波を実験で確認し、1888年にヘルツの実験で電磁波を人為的に発生させることに成功した。
ヘルツ以降の研究者たちは電磁波を無線電信に使用できないかと研究されていました。
電磁波を無線電信として使用するには電磁波を発生させる送信機の出力の増強と受信機の受信感度が高くなくては無線電信はできません。そのため受信機は電源をより強力なものに強化する必要が出てきました。今までのライデン瓶から電気をとっても出力不足なのは明らかなので、電池を使用し、そしてさらに出力を増強するために発電機を使いました。
受信機部分も改善が施されました。今までの受信機の共振部分は火花放電を発生させるためには高い電圧が必要でした。コヒーラやクリスタル検波器に改良され、低電圧で電磁波を感知できるように発展していきました。
1898年にはイタリアの電気技師、グリエルモ・マルコーニがイギリスのロンドンでマルコーニ無線電信会社を立上げ無線電信事業を開始しました。マルコーニは翌年の1899年の3月にイギリス→フランス間のドーバー海峡を挟んで世界初の国際無線通信を成功させ、同年の12月にはイギリス船(エレットラ号)に初めて船舶無線装置が取り付けられました。
1901年マルコーニはセント・ジョーンズから2000マイル離れたイングランドのクンウォールで、モールス信号の、「S=・・・」を3回受信し、太平洋横断無線で電信の信号を受信することに成功しました。
1902年に無線機のアンテナ回路に電話機で使用している送話器を組み込んだ送受信器が音声の受信に成功し、その距離は5Km(約4マイル)でいた。
1906年には鉱石ラジオが普及していました。これは鉱石ラジオの研究する人、今で言うアマチュア無線家のような人たち大勢いため、鉱石ラジオの普及、放送の基礎基盤が作られたと考えられます。世界で始めて無線放送(ラジオ)を放送したのは、元エジソンの会社で電気技術者をしていた、レジナルド・フェッセンデンがアメリカの自己無線局で12月24日に初めて無線放送をおこないました。クリスマスイブには聖書の朗読やクリスマスソングの音声が送信され、彼の放送は大晦日まで続けられました。この放送はクリスマスイブの3日前にあらかじめ無線電信によって予告されていたもので、「世界初のラジオ放送」だけではなく「世界初のクリスマス放送」でもありました。そしてそのとき使用した送信機は電力約500w、回転数20、000rpmの高周波発電機50kHzの高周波出力を直接冷水式カーボンマイクに接続して、音声に応じて高出力波形をつくって放送するもでした。
1910年4月にチャールズ・ヘラルドがカリフォルニアのサンホセで、雑誌にサンタクララ渓谷の方々に無線放送でレコードを演奏を放送すると予告し、毎週水曜日の夜に演奏が開始され10年間放送されました。
無線放送を事業として始めたのは、1920年11月にアメリカのウエスチングハウス社のフランク・コンラッドが作った「KDKA」で、初めて認可を受けて放送を開始し、音楽や大統領選挙の結果を放送しました。
1923年にWEAF局からラジオでの広告が放送され放送ビジネスとして確立していきました。
1934年アメリカの電工工学究者、エドウイン・アームストロングが周波数変調(FM)を発明するが1970年まで使われることがありませんでした。
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Last update:2022/12/12
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